地域の歴史トピックス 17 「上総地方に伝わる弘文天皇伝説編 3」

■ 地域の歴史トピックス

他地域を圧倒する弘文天皇にまつわる言い伝えの数々

 弘文天皇の生存伝承は、千葉県内では上総地域以外でも富津市、海匝(かいそう)郡市、また大多喜町に残っています。

富津市は一行が船で上陸したとされる津浜(富津市萩生)。また旭市や匝瑳市(そうさ)には天皇妃の耳面刀自媛(みみものとじ)が上総からさらに落ち延びた言い伝えがあります。大多喜町では正妃十市皇女(とおちのひめみこ)が亡くなった話が残っています。

弘文天皇陵にあっては先の号で上総地域での治定(ちてい)に向けた努力を紹介しましたが、滋賀県大津市の亀山古墳が(明かな出土品がないまま明治11年に)正史となりました。

正史外の御陵伝承は地元俵田の白山神社古墳のほか、愛知県岡崎市、神奈川県伊勢原市にもあります。

いずれも地域の方々は伝承を尊んでいます。しかし木更津市矢那から君津市亀山にかけての上総エリアは、民俗学者柳田国男に「流され王の御跡(みあと)は研究の価値が大きい」と言わしめたほど伝承内容と件数において他のすべての地域を圧倒しています。

今回から何号かに分け上総に伝わるエピソードを見ていきたいと思います。

 壬申山じんしんやま周辺の弘文天皇史跡 土地法典でわかる関連地名
 壬申山山麓に行宮(あんぐう)を造営しようとするなら、小櫃小学校の校庭あたりが一番適地ではないかと地図を見て思います。
小学校創設は明治33年だそうですが、遺構出土の文献は残念ながらみあたりません。
 しんしんやま
 壬申山
 末吉地区から見れば御腹川を挟んだ南側、末吉神社や白山神社古墳を抱く山。呼称は「壬申の乱」が記紀によって広まった後年に名付けられたと思われる。末吉神社がある場所の小字は壬申山。
 すえよし
 末吉
 現在も大字として住所、マップ、国道の信号名にも使われる地名。

久留里線小櫃駅(おびつ)に接している。この地名、今の言葉でいえばキラキラネームだが、天武天皇軍の襲来に備え、重臣蘇我赤兄(そがのあかえ)が近隣から兵を集めたところ三千人が集まった。その報告を聞いた弘文天皇が「末はよいぞ」と発したことばが地名の由来。

 すえよしじんじゃ
 末吉神社
末吉神社
 壬申山の山頂にある。上総村誌によれば祭神は蘇我赤兄。神仏習合などの影響かどうかその事情はよく分からないが、明治初年からは保食神(うけもちのかみ)を祭る飯縄(いづな)神社と祭神及び社名を改めている。
 やりみず
 遣水
 平安末期に表された今昔物語集の中に、弘文天皇の来歴のほか御最期までが書かれていて、「身替りをして死せしめてから窃かに東国に走る……上総国に着かせ給い遣水というところに「小川の御所」を築き行宮となし給い…」とある。御腹川に接する場所に小字として遣水の地名が残る 。
 はくさんじんじゃ
 白山神社
 弘文天皇を祭る。

君津郡誌では「里人相伝えて云う。この大古墳は弘文天皇の御陵なり…」とあり、現在は柵は取り除かれたが、「大古墳に登るときは忽ち目くらみ冷気を覚え転倒する」といわれてきた。

また社伝について、9世紀後半に藤原時平らが表した「三代実録」を引いて次の記載がある。「天武天皇の勅使が六八五年下向し社殿造営し…」。

つまり宿敵の叔父が、弘文天皇の死後10年の後、その祟りを怖れ魂を鎮めるために造らせた神社だということである。

 
 舘内
 やかたうちと読むのであろうか。

白山神社がある区域は小字「天神台」。北に隣接、小櫃小学校に挟まれた区域の小字が「舘内」。神社の奥、小学校のプールの先の区域は「舘峰」であると土地法典に記載が残っている。

一帯が御所の敷地であったことを感じさせる。

 うばがみのほこら
 姥神の祠
田んぼの中の姥神の祠。右の山が壬申山
 白山神社の足元の位置にある。地主の方が田んぼの中央で大切に守っている。

弘文天皇は伊賀国の地方豪族が貢進した女性と中大兄皇子との間に生まれたので、16歳までは伊賀皇子と呼ばれ、伊賀国造家(いがのくにつくり)が養育を担当した。

姥はその時に仕えていたひとりだだと思うが、よくぞ逃避行に合流できたものだ。

 父から引き継いだ皇親政治の確立は、唐の侵略野心に抗するために必須の課題でした。

明治維新の王政復古の際、国体護持を練ろうとした時期、「攘夷佐幕の議論の活発をして夷敵の動きを封じる」と水戸藩士の藤田東湖が言っています。

また東郷平八郎元帥は日本海海戦で「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」の名言は日本人なら知らない人はいません。

飛鳥時代も、民を含め国民がひとつになることが求められました。

24歳の弘文天皇は小川の御所に身を伏せ日本をどのようにしようと考えていたのでしょうか。

 
  使者穴付近の御腹川

※大嶽(おおたけ)神社、使者穴、御馬ケ谷、小櫃川、御腹川も弘文天皇関連史跡・地名ですが紙幅の都合により次号以降に紹介いたします。

参考文献
・ ふるさと上総物語(府馬清著 昭和50年 崙書房発行)
・ 小櫃村誌(千葉県君津市小櫃村誌編纂委員会 編昭和53年 千葉県君津市発行)
・ 久留里城誌(久留里城誌保存会編 昭和54年8月)
・ 冊子「小櫃学」(小櫃公民館編 平成30年)

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